ユキマルコロク

食と暮らしの雑記ブログ。

<当ブログではアフィリエイト広告を含む場合があります>

「物を大事にあつかえる人」は人にも優しいと思う理由。

この記事をシェアする

<当ブログではアフィリエイト広告を含む場合があります>

  f:id:xiangnaihuil22:20191102183021p:plain


私たちの周りにはあらゆる「物」がありますが、大事にあつかえていますか?

 

コップをテーブルに置くときやドアを閉めるときなど、日常生活の中で「人」以上に「物」と接する場面は多いものです。

 

そうなると、

ほぼ無意識の中にある「物」のあつかい方に、その人の本質の一部が見えるかも

と思うんです。

  

全体的な内容としては

  • 物を大事にあつかえる=人も大事にできて優しい
  • 物を大事にあつかえる人は動作が自然と丁寧になる

 

の2つです。

 

それでは以下から詳しく紹介していきます。 

 

 

物を大事にあつかえる人は「人も大事にできて優しくできる」

 

冒頭でも触れたように、日常生活で「物」とは「人」以上に関わる回数が多いものです。

 

世の中には人の数以上に多くの物にあふれています。人は人とも生きていますが、人以外のあらゆる物(無機物・有機物関係なく)とも生きています。

 

考えてみたいのは「自分とそれ以外の存在」を意識することで、自分以外の「人」と「物」をあえて同じ枠組みとしてとらえてみることです。

 

「物」は必然的に「人」よりも多いので接する機会は多くなります。なので、物のあつかい方を見れば人との接し方も見えてしまう、というわけです。

 

つまり、物を大事にあつかえる人は自然と人を大事にできるし優しくできると考えることができます。

 

ポイント

「物」を「人」と同じように見るという考え方は、「あらゆるものに神さまが宿っている」という日本の八百万の神々の考え方と同じようなものです。 

 

物を大事にあつかえる人は「動作が自然と丁寧になる」 

 

物へのあつかい方が人との接し方に現れやすいことを踏まえると、そこに心と体の密接なつながりが見えてきます。

 

 物への触れ方が自然と丁寧になるのは、そこに「大事にしたい」という心が関係しているからです。

 

そういった心が見える動作は周囲にいい印象を与えることができますし、無意識の中でのちょっとした「物」との動作を見れば、その人の本質の一部分を見ることができるわけです。 

 


 

 「物」と「人」を同じように見てみるとはいえ、すべてを同じように見ることは出来ないですし、同じように見過ぎるのもよくないです。

 

 それでも、物を大事にあつかえるかどうかは人との接し方に少なからず関係性を与えているように思います。

 

物を尊重できれば人(相手)も尊重できる

 

日頃から心を穏やかに保ち、優しい人でありたいものです。 

 

それでは。